日本原燃の工場は、地元の人をたくさん雇う。地域の人にとっては、この工場は魅力的な就職先だろう。過疎化が進む村にとっては、若い年代の住民を確保する貴重な存在となっているに違いない。
一方で、このような職場では「立場の弱い人ほど多く被爆しているのではないか」という疑惑が後をたたない。例えば、原子力に反対しているグループの書いたある本には「ある作業員は、放射線メーターが警報を出すと仕事をやめさせられるからといって、メーターを隠してごまかした」というような恐ろしい記述がある。「正社員よりも、下請け会社の社員のほうが多く被爆している」と指摘した本もある。このあたりの真偽は私には分からないが、被爆についてはきちんとした規則を作り、立場の強い人にも弱い人にも、同じようにしっかりと適用し続けることが欠かせない。
ここで働いている人たちの多くは、家族とともに六ヶ所村に住んでいるという。この情報から考える限りでは、働いている人たちの多くは、職場を危険な場所とはとらえていないことがうかがえる。もしも、危険を感じているとすれば、家族を六ヶ所村におくとは考えにくいからだ。
しかし、職場を安全な場所ととらえることと、職場が実際に安全かどうかは、必ずしも一致するとは限らない。職場の安全性については、最終的にはそこで働く全ての人の善意に期待するしかないのである。
三沢駅を8時59分に出る各駅停車八戸行きは、ステンレスの車体に紫の帯が入った4両編成の701系電車だった。ローカル列車にもかかわらず、3ドアロングシートにVVVFインバーター制御と、首都圏の通勤列車を思わせる設備ばかりが目立つ。

数年前までは、東北線の普通列車には、機関車が客車を引っ張る形式のものが多かったのだが、知らぬまに時代が変わっていたようである。
沿線には、「東北新幹線を青森まで」といった看板が目立った。現在東北新幹線は、北は岩手県盛岡市まで通じており、それよりも北は工事中だ。新幹線が盛岡で止まっているのは、青森県と国との仲がいまいちだからだと考える人もいるとか。
車内には、いくぶんか空席があり、首都圏のような混雑はみられなかった。
八戸でしばらく待ち、次は各駅停車盛岡行きに乗る。今度は2両編成の701系でまたロングシート。東北地方の普通電車が、ロングシートばかりなのは、JR東日本が東北地方を軽視しているからだろう。「JR東北」があれば、ローカル輸送に首都圏の通勤地獄をそのまま当てはめるような愚かなことはしなかったに違いない。
盛岡でちょっと休み、次の各駅停車一ノ関行きに乗り換える。今度はワンマンカーの701系ロングシートが2両。盛岡発車前から立ち客が出るほどの混雑ぶりだった。普通列車の本数が少ないこの地域で、このような低サービス車がはびこっていては、鉄道への魅力はどんどん低下し続けるに違いない。JR東海の東海道線では、ロングシート車の投入にあわせ大量増発を行い、待たずに乗れる電車として好評をはくしたというが、東北の普通列車の本数は少ないままである。何のビジョンもなく、合理化ばかりを続けていては、乗客に見捨てられるのは時間の問題だろう。
車内ではテープの案内放送が流れ、バスを思わせた。貨物列車を数多くみかけた。北海道向けなどの長距離輸送には現在も、トラックよりも、フェリーや鉄道が活躍している。
一ノ関に到着すると、すぐ各駅停車小牛田行きに乗り換えた。小牛田行きは、ステンレス車体に緑と赤の帯が入った仙台色の701系ワンマンカー2両で、またロングシート。内装が木目調なのが、いままでの車両と違う。
小牛田につくと、4両編成の719系白石行きに乗り換えた。この車両はセミクロスシートだが、クロスシート部は全てドアから離れた方を向いていて、ちょっと異様な配置である。
ようやく進行方向を向いて座ることができ、ほっとした。途中、松島海岸が車窓から見えた。
仙台で降りて、各駅停車黒磯行きを待った。黒磯行きは、6両編成の719系セミクロスシートで、3時間以上の乗車となる。途中福島でたくさん乗車があり、一時車内は混雑したが、黒磯まで行く乗客は少なかった。
黒磯からは、快速ラビット号上野行きに乗った。211系10両編成は、全てロングシート車だった。乗客は宇都宮までほとんどなく、宇都宮まで車両1両をひとりじめにできた。この間は、シートの上で横になっていることができた。
赤羽で、埼京線恵比寿行きに乗り換え、渋谷へ。そして渋谷では井の頭線に乗り換え。自宅に到着したのは午後11時ごろだった。本当に長い旅だった。
青森県が、いかに東京から離れているかを実感した。わけもなく「危ない施設は、東京から遠いところに追いやってしまえという姿勢で、核燃料サイクル施設をあそこに作ったのだろうか」などと考えたくなってしまう。とはいえ、施設にはいつも一生懸命働いている人たちがいる。もしも立地が上のような官僚的な発想で決められていたとしても、働いている人たちが善意をつくせば、安全は守られるだろう。